最近、自分が好きなのは物語を作るのではなく文章を書くことではないのか、と思い始めた山根です。
ペンネームなんて素人作家がつけるもんじゃないよな、と思っていたのですが、本誌に掲載する予定の作品があまりに恥ずかしかったのでつけてしまいました。自分の名前に漢字一種類足しただけですが。
実のところ、このブログのことを綺麗さっぱり忘れていたので、何を書こうかなんてこともさっぱり考えていませんでした。その場任せでハッタリを書くのは苦手ではないのですが(現に今、その場任せのハッタリを書いているわけですが)、どうにもあまり筆が進みません。と言うのも、最近その辺りについて考えるところがあるからです。
読者(あるいは視聴者)が存在する物語には、基本的な構造があります。起承転結とか序破急とか、そういうものです。作品を書くにあたっての下敷きと言えるかも知れません。起承転結で言えば「起」だの「承」だのといった枠があって、そこに要素を詰め込んで完成させていくわけです。これはあくまでも基本形であり、本当に面白い作品を作るためにはそこから逸脱することも時に必要なわけですが、ピカソだって何も最初からキュビズムを描いていたわけではないのと同じように、最初から破綻したことをやろうとしても巧くいきません。
私はこの作業がひどく苦手です。設定とかテーマとか、やりたいことを決めたら勢いだけで書きだしてしまうクチです。フルマラソンの最初一キロ地点までを全力疾走するようなもので、後を顧みない行為が巧く行くことは極めて稀なことです。確率はほとんどゼロと言ってもいいでしょう。そんなもので、未だに自分が完全に納得できる作品を書ききったことは一度もありません。必ずどこかにケチがつき、書きあげた直後は満足感から色眼鏡がかかりますが、時間が経つ毎にあそこはおかしいここは駄目と、モチベーションが削られていくことになるのです。
目下のところ、私の必修技術は「上手にプロットを書く技術」かな、と思うところです。大学一回生からこれまで、文体の研究(と言えるほど大袈裟なものではありませんでしたが)を重ねてきました。少なくとも文章だけはそこそこ見れるようになったのではないかと思います。これからは、その文章を作品に昇華する作業にかかろうかと思います。