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お初にお目にかかります

 いろいろと事情がありまして今回初めてブログで筆を取らせていただきます、香野悠月と申します。
 今までブログというものに縁がなかったので何を書けばいいのかわからぬままに筆を走らせますので迷走してしまうやもしれませんが、ご容赦いただけると幸いです。
 私は主に写真とコラムページ(?)を担当させていただいております。プレヴァンガードが発行され、その内容に目を通させていただく度に私などが名前を並べさせてもらってもよいものかとびくびくしております。

 さて、私は今、コラムページという枠で詩を書かせていただいておりますが、これがなかなか進みません。詩自体は出来上がっているのですが、それにあわせる写真がまだ出来上がっていないしだいです。こんな感じと漠然とイメージした風景や場面を見つけられなかったり、構想自体が思い浮かばなかったり。こんな時期にこんな泣き言を言っていてはいけないのですが……。
 そもそも私は調べ物が大の苦手で、よほど必要に迫られないと重い腰を上げないので、大半は自己満足で終えてしまうのです。そんな私が人様の、それも実力ある方々と同じ紙面で物を書かせていただけるなんて、身に余る光栄を嬉しく思う反面、一歩踏み出すのにも「いいんですか、いいんですか、いいんですね」と再三の確認を取らないと動き出せないほどの重圧も感じていたりします(かなりうっとおしいことと思います)。
 皆様の足を引っ張らないようにがんばりたいと思います。

 では、短いですがこの辺りで筆を置かせていただきたいと思います。

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更新遅れてすいません。

 小説が書きたい……でも妄想の段階で終えてしまう今日この頃。
 先月の原稿を落としたこともあり、一念発起して構想まで書き上げたはいいもののまったく進まない。
 いかんとですよ、これは。頑張ろう。いや、頑張れ。寧ろ、諦めるのも勇気なのかもしれん。

 ってか、最近本をマトモに一冊読み終えることすらできていない。あぁ、また本が壁の隅に積み上がる……
 神よ、俺に一日三百時間下さい。いや、寄越せ。否、寄越すべき。マジで。

 仕事に就いた途端にこの有様だよ!



 あんま話に関係ないけど、販売士三級のテストには受かってたよ。原稿落としてごめんねfe.com。

無題

 最近、自分が好きなのは物語を作るのではなく文章を書くことではないのか、と思い始めた山根です。
 ペンネームなんて素人作家がつけるもんじゃないよな、と思っていたのですが、本誌に掲載する予定の作品があまりに恥ずかしかったのでつけてしまいました。自分の名前に漢字一種類足しただけですが。

 実のところ、このブログのことを綺麗さっぱり忘れていたので、何を書こうかなんてこともさっぱり考えていませんでした。その場任せでハッタリを書くのは苦手ではないのですが(現に今、その場任せのハッタリを書いているわけですが)、どうにもあまり筆が進みません。と言うのも、最近その辺りについて考えるところがあるからです。
 読者(あるいは視聴者)が存在する物語には、基本的な構造があります。起承転結とか序破急とか、そういうものです。作品を書くにあたっての下敷きと言えるかも知れません。起承転結で言えば「起」だの「承」だのといった枠があって、そこに要素を詰め込んで完成させていくわけです。これはあくまでも基本形であり、本当に面白い作品を作るためにはそこから逸脱することも時に必要なわけですが、ピカソだって何も最初からキュビズムを描いていたわけではないのと同じように、最初から破綻したことをやろうとしても巧くいきません。
 私はこの作業がひどく苦手です。設定とかテーマとか、やりたいことを決めたら勢いだけで書きだしてしまうクチです。フルマラソンの最初一キロ地点までを全力疾走するようなもので、後を顧みない行為が巧く行くことは極めて稀なことです。確率はほとんどゼロと言ってもいいでしょう。そんなもので、未だに自分が完全に納得できる作品を書ききったことは一度もありません。必ずどこかにケチがつき、書きあげた直後は満足感から色眼鏡がかかりますが、時間が経つ毎にあそこはおかしいここは駄目と、モチベーションが削られていくことになるのです。
 目下のところ、私の必修技術は「上手にプロットを書く技術」かな、と思うところです。大学一回生からこれまで、文体の研究(と言えるほど大袈裟なものではありませんでしたが)を重ねてきました。少なくとも文章だけはそこそこ見れるようになったのではないかと思います。これからは、その文章を作品に昇華する作業にかかろうかと思います。

映画とか

どうもこんばんわ。稲葉です。
僕は小説以外にも映画も撮っていたりするんですが、小説とはまた違った難しさがあります。去年撮った映画では、シナリオと製作(交渉とか役者さんの管理とか事務仕事)と音響を担当しました。真夏の現場だったのですごく辛かったです。でも苦労のかいあってか、国際映画祭に出展させてもらいました。
でも今年はちょっと残念なことになりました。僕は今年は二つの現場のライターを兼任させてもらい、そのうちの片方の現場では助監督をやらせてもらう予定だったんですが、その現場がなくなってしまいました。
理由は二つ。一つ目は物理的に撮影の準備をするための時間がなくなってしまったこと。二つ目は準備時間を短縮するために世界観やセットを妥協した結果、撮りたい画がみえなくなってしまったことです。この二つの理由は小説にはありえないことです。
例えば、小説の中に『家』を建てるのは簡単です。『ie』とキーを叩けば終わりです。100家建てようが手間もほとんど変わりません。コピペすれば更に楽ですし。ほら、こんなふうに

家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家家

チキンなので100は無理でしたが、まあ充分でしょう。ですが映画はそうはいかないのです。映画で家を建てようと思えば、本当に建てるか、そうでなくても交渉して借りなければいけません。当然お金も手間もかかります。一人では絶対に無理です。そうなると更に人手もいるわけです。すると必然的に、その大勢の人たちをまとめあげている監督には、責任というものが、重く、重くのしかかってきます。
ぶっちゃけ僕には無理だと思いました。もちろんスタッフ一人一人にも背負わされた役職があり、責任はあります。ですがそれは監督の比ではないです。単純にスタッフ+キャストの人数だけ責任があります。ストレスで死ねます。
そう考えると小説はまだいいです。編集さんや印刷所さんや、絵を頂く場合には絵師さんとのこともありますが、一人で好き勝手に書く分には関係ありませんし、また、小説ではそれができます。映画は99パーセント一人では成立しないですし、できても実験映像か記録映像ぐらいなものです。
結局のところ何が言いたいのかというと、小説はなんでもできるのだから、なんでもやらやってみないと損ですよね、ってことです。まあこれだけ行を費やして言いたいとはそれだけなんですけど。もしこの文章に赤ペンが入ったら、分量は半分くらいになってるんでしょう。ああ恐ろしい。
まあなんにせよ、僕は意地で作品を撮らなかった監督を尊敬しますね。

無題

どうも、一日遅れの更新ですみません。
こんばんは、セイシです。

七月に入っていますが中々小説に触れる機会が得られず悶々としています。
漠然と書きたいって意気込みばかりで基盤さえまともに立てられないorz
皆の小説意欲や考えを読ませてもらって、今私に書けるもの、書きたいものを模索中です。

私は民俗学、オカルト、大自然スキーなので、その類を勉強して小説に活かせたらいいとか思っていますが、今はまだ勉強不足です。
とにかく今は人間関係ってものを利用して何か書けないかって思いながらPCに向かってます。
主人公は一人じゃなくていい。
一人はたくさんの人と知り合いなんだから、その中の誰かが主人公だっていいじゃない!
そういう連鎖的な物語を書きたいです。


一回目に続き、短い文書ですが、以上!
では、お休みなさい。

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